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    • 小説とわたしと日常
    • 思いついたこと

本屋基準の道案内は不親切

Posted by admin on 2019年12月27日

先日おばあさんに道を聞かれたのですが、自分の無力さ、と言うより“偏り”を実感しました。事の経緯は、まず駅前のコンビニを出たところで、おばあさんに芋ようかんが有名な新しくできたばかりの和菓子屋さんへの行き方を問われたところから始まります。その和菓子屋さんは路地裏にある開店して間もないにも関わらず、隠れた名店と呼ばれているような店ですが、一方で最寄り駅から店へ行くまでの道の分かりにくさにも定評がありました。しかしその店の周りには行きつけの本屋さんが点々とあるので、私の場合は初めてでも難なくたどり着く事ができました。おばあさんに「この道路を真っすぐに行くと緑色の屋根の古本屋があって、そこを右に曲がると比較的新しい○○書店があるので、そこを目指して歩き、その書店を左手にして少しあるくとオシャレな本屋喫茶があるんですね……」と説明していたら、おばあさんはクスクス笑いました。「あなたは本屋が好きなんだねぇ、それはいいんだけどさぁ、わたしゃここら辺は初めてだから分からないんだよ」と言われハッとしました。おばあさんの言う通り私は書店が好きで、この和菓子屋だけでなく、道順を憶える際は書店を基準にする事が多いのです。初めてこの駅で降りたおばあさんなら尚更、こんな偏った説明では分かるはずがありませんでした。それを知ると急に申し訳なくなってきて、その日は特に急ぎの用事をありませんでしたから、案内がてらおばあさんと一緒に芋ようかんを買いに行ったのでした。

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灯台下暗しと疲労

Posted by admin on 2019年12月12日

よく父は「眼鏡がないぞ!」と言って、それを額に上げた状態で探していました。灯台下暗し、日常生活の中では時々そんな機会に遭遇しますよね。最近読書に関しての下暗し現象が多く起きていて困ったものです、もしかしたら私は疲れているのかもしれません。例えば、しおりがない!と探しまわった挙句、それは前に読んだページに何事もなかったかのように綴じられていたり。とくに恥ずかしかったのは、図書館で貸出手続をしてもらう際に登録カードがどこにも見当たらず、司書さんに「すみません。カードを忘れてしまったのですが」と言った直後にご丁寧にトレーの上に乗せられたそれを見つけ「カードでしたら、今、こちらに出して頂きましたが……」と司書さんを困惑させた事だってあります。意識が習慣化された動作に追いついていないのか、それとも寸前の記憶が忽然と消えているのか。身心がどう作用しているのか分かりませんが、こんな話を友人にすると「疲れてるねー」とよく言われますし、自分も同じような相談を受けたら「ゆっくり休んだ方がいいよ」なんて言うのでしょう。灯台下暗し、遠くにあるものは照らしだされるのに近くにあるものは照らしだす事ができない灯台の性。しかし、近くのものすら見落とすほど疲労困憊の中では遠くのものを照らしだす事など到底できないのが人間の性でしょう。

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雑誌の細部を観察する

Posted by admin on 2019年11月29日

変った趣味だと言われそうですが、ファッション雑誌の細かい箇所を読み込み、前号と比較して観察するのが好きです。例えば、発行人一覧は必ず読みます、前号とメンバーが変わっていたら「異動があったのかな、それとも担当者が長期休暇で……」など色々と察してみたり。あとはカメラマンやメイクさんの名前も必ずチェックしていて、落ち着いた雰囲気の特集にはこのメンバーで、女子力高い系はこっちのメンバーかというように複数号にわたって観察していくと雑誌の作成過程における人々の動きが読み取れる気がするのです。もちろん雑誌の趣旨である、洋服やメイク道具などの情報を得る事だって欠かさずしているつもりではありますが、それらはどこか流し読みで、本腰をいれてチェックするのは細かい部分になってしまうものです。文体とライター名をチェックするのも好きです。エッセイなどの文章で魅せるものにはしっかりとライター名のサインがありますが、それは雑誌中の文章のほんの一部にすぎず、ほとんどのそれは無記名あるいはコーナーの扉ページに小さくライター名が記載されているにすぎません。そこを追っていくと、「この人こっちでもあっちでも書いてる!それにコーナーによって文体も微妙に変えていてすごいなぁ」なんて発見もできるので、雑誌作成現場の裏側を垣間見る事ができた気になります。
だから同じ雑誌を愛読している友人に「○○の特集で出てたバルに行ってみようよ、あの写真のカチャトーラ美味しそうだったよね」と言われた時は、料理の写真より「薄暗い店内でキャンドルの灯りに照らし出されたカチャトーラの、照りつけるトマトの赤い肌。カチャトーラだからってカチャカチャ音をたててながら食べてはいけません」という大好きな一文が浮かんでくるのでした。

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紙質で楽しむ読書のすすめ

Posted by admin on 2019年11月14日

本を開く際、その中には当たり前のようにいつもの紙の手触りが迎え入れてくれると思いがちです。しかしいつものザラつきがなかったり、少しでもツルッと感が増していると、その唐突さに指先が驚きを感じ世界が一変したような気さえします。画集や写真集・絵本などはコート紙という特殊な素材を使っている事が多いです。これは光沢があり表面の平滑度が高く、インクののりが良いとされており、白黒ではなくフルカラーで読書にみせたい本はコート紙が使われている事が多いです。一方で論文や物語に特殊な紙が使われているのを見た記憶がありません、何故だろうと考えてみると、文量が多いから。値段の張る紙を大量に使っていてはコストがかかり過ぎてしまいますし、なにより照りついていて読みづらいです。そもそも文字だけの情報でみせる書物には光沢とかインク映えはあまり関係な気もします。以前色付きのお洒落な和紙が所々挿入されている詩集を読んだ事があります。和紙の色が詩の雰囲気によって変わっていて、詩の内容はもちろん和紙を眺めたり手触りを味わう楽しみもありました。作り手側の豊かなサービス精神を感じます、詩と和紙のイメージを一致させるなんて面白い試みです。文章を読むより先に指先の触感や色味や表面の隆起などをもってして一瞬で脳に訴えかけてくる質感、内容で本を選んでばかりの日常ですが、時に紙質で本を選んでもいいかもしれません。

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なんとも珍しい、書店で迷子になった男の子

Posted by admin on 2019年10月30日

駅前の大きな書店に行った時の事です。静かなフロアに突然ピンポンパンポーンというお知らせチャイムが鳴り響いたと思うと、女性の声で「ただいま、迷子のお子様を、三階の絵本コーナーレジにてお預かりしております。保護者の方は三階絵本コーナーまでお越しください」との事です。デパートやショッピングモールでは迷子放送はよく耳にしますが、書店でこれを耳にするのは初めてです。私が居たコーナーは他に男性が一人しかおらず、彼も突然の放送に驚いたのか、私と同じように「!?」と言った表情であたりを見渡していました。アナウンスをしていた店員さんの声の調子もどこか慣れない様子で、やはり書店で迷子は珍しい事なのでしょう。気になって三階の絵本コーナーに立ち寄ってみると、レジの横で女性店員さんに絵本を読んでもらっている、二歳になりたてくらいの男の子がいました。親と逸れた心細さ故に泣きはらしたのか、彼の目の周りは赤く腫れているは鼻水がひょっこり顔を出しています。するとエスカレーターの方から「しょうちゃん!」という感極まった声とともに母親が現れ、男の子も「ママぁ!!」と言って駆け出していきました。
この書店の絵本コーナーは凝ったつくりをしていて、試し読みができるテーブルやちょっとした滑り台などの遊具もあって子供たちが夢中になって遊ぶので、親も油断してしまうのでしょう。無事に親子は再開できた訳で、まったく関係ない私までも胸を撫で下ろし、親子の再開を感慨深い気持ちで見守りました。

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データが一瞬で消える時代は終わった

Posted by admin on 2019年10月15日

かつてのPCは作業中にフリーズしたり電元が落ちたりすると、データが保存されずに消えてしまい、せっかく作業していた努力の結晶が失われて絶望の淵に瀕する……そんな事がよくありました。そんな時代は、漫画や小説などで「データが消えたぁ!」なんてシーンをよく目にしていましたが、最近はデータの消滅により頭を抱えるシーンは見なくなったなと思います。それは技術の発展のよって、PC本体でトラブルが発生しても「復元をしますか?」なんて気の利いた事を言ってくれるようになった恩恵いや一種の喪失とも言えるのdしょうか。今の時代、十二二重のお姫様や侍など、社会が完全に過去のものとしているモノたちの消滅について思い馳せるような事などせずにみな言を持たなずに過ごしています。しかしかつてそこにあった現実が過去のものになっていく事実に対しては、同じようにはいかないものです。“おっちょこちょいの誰かさんが電源コードに躓き、それでPCの画面が真っ黒になって中身のデータがすべて吹っ飛ぶ”現象が紙上で見られなくなった事をとても寂しく感じます。そんなシーンが載っている漫画や小説を本棚から出して天の部分を見てみると、黄ばんでいるではありませんか。つい最近買ったつもりでいましたが、思い返してみるとそれなりの年月が経っているのです。時の流れはあっと言う間、こんな時にしみじみ感じます。

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心が何かを強く求める時、無意識も同様に何かを求める

Posted by admin on 2019年9月30日

甘い食べ物が無性に食べたくなる時は、ストレスが溜まっていて体が疲れている状態である事が多いらしい。また、しょっぱいものが食べたくなる時はミネラル不足、辛いものはエネルギーの消化不良だとか。インターネットや本などの出典によって言われは微妙に異なりますが、偏った味覚を求める時はつまりストレスが溜まっていて身心になんらかの不調が起っていると考えて間違いないでしょう。私はその筋の専門家ではないので深く言及する事はできませんが、○○な本が読みたくなる時に心が何を求めているかについては、なんとなく自分の中で正解があります。ファッション雑誌は季節の変わり目、恋愛物語はときめきを求めている時、なんて言うのは多くの人と共通している共感覚的なものだと思うので私だけのヘンテコな例を挙げてみようと思います。
例えば辞書を無性に読みたくなる時があるのですが、これは辞書の内容というより、その匂いや柔かく指先に吸い付くような独特の紙質を味わいたい時が多いのです。つまり五感が懐かしさと非日常を求めている時に辞書が読みたくなります。もう一つ、絵本(0~3歳児向けのもの)を読みたくなる時は、言葉を音としてを味わいたい・作者のイメージで頭の中をすっきりさせたいと思っている時です。「リンゴが、しゃっく、っしゅっく、しゃぁ、っく」のような、私が抱くリンゴの咀嚼音を覆す擬音語を噛みしめるのです。このように作者のイメージや言葉へのこだわりを味わえるなんて、大変貴重な機会を頂いていると思います。なんだか分かりにくい例ばかり挙げてしまいました。皆さんも、ふっと閃いた好奇心とその裏に隠された欲求を探ってみて下さい、自分でも知らなかった欲求がそこにあるかもしれません。

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友人の娘を驚かせるクイズを出したい

Posted by admin on 2019年9月17日

友人の娘と友人とでカフェに行った時、壁にコーヒーの実の写真が飾られていました。それを指さし娘ちゃんが「これいちご?」と言ったので、友人と私は顔を見合わせてクスクス笑いました。コーヒーは黒く苦いのに、実の状態ではころんと丸く朱がかった赤色をしていて、いちごなどのベリー系の果実に見間違えるのも無理ありません。友人が「あの赤い実がこの真っ黒なコーヒーになるんだよ」と言うと娘ちゃんは目を丸くして驚き、なんで?どうして?と大興奮。「どうしてこうなったか考えてみなよ」と友人が投げかけると、日に焼けた可愛らしい腕を組み、難しい顔をして考え込み「焦げちゃったんだよ!きっと!」と彼女なりの答えにありつきました。ちなみにコーヒーは、この実を収穫し長い間乾燥させて中の種のみを取り出してローストして、やっとよくよく目にするコーヒー豆の姿になるのです。赤い実は甘酸っぱく食べられるのですが、コーヒー豆の生産には必要ないためほとんど廃棄されるんだとか。
好奇心旺盛で考える事が大好きな娘ちゃんに、私からもクイズを出しました、鞄から本を取り出し。「この紙は何でできているか知ってる?」と聞きます。うーんと言いながら腕を組み、考えるかと思いきや「木!」と即答。よく知ってるねと言うと「ママが言ってたんだもん」との事、友人はそんな私たちのやりとりを見て笑いを抑えられないといった表情で「ごめんごめん、前にそのクイズだしたんだよね」と娘ちゃんの頭を撫でました。それからと言うもの、娘ちゃんを驚かすため、原料と加工された姿にギャップのあるもの探しが趣味と化しています。

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傷だらけの本と大人になりたかった子供の私たち

Posted by admin on 2019年9月2日

古い思い出の品を収納している箱を整理していたら「○○ちゃんの大切な本、破いちゃってごめんなさい」と書かれた手紙と、その下に一冊の児童書を見つけました。この児童書は私が小学四年生くらいの頃に親に買ってもらったもので、かつての私が持っていた本の中では一番厚みがあり、初めて私が手にしたスピンのついた重厚な表紙の本でありました。この本は他の本と違うんだ、大人の本なんだ……と、当初の私はこれを手にしただけで自分が特別な何者かになったような気持になってたもので、読まずに机に飾っておいて時間があればそれを見つめてうっとりしていました。そんな時に友達が私の家に遊びに来て、机に飾られたこの本を見つけました。「こんな難しそうな本読むのー!?」「すごーい大人みたーい!私もほしーい!」10歳くらいの女の子にとって「大人みたい」なんて恰好の褒め言葉、私は得意気で仕方ありませんでした。しばらくしてその子が本を読みたいというので、いいよと手渡し二人で本を片手に持って“お姉さんっぽいポーズ”をとってキャーキャー言いながら遊んでいました。すると友達が本を開き、アニメなどでよくある片手でページをパパパッとめくるシーンの真似をし始めたので、咄嗟に私は「破れちゃうからやめて!」と、柄にもなくその子というか本を奪い返そうと飛び掛かったのです。もうその後はみなさんのご想像の通り、いきなり私が本を引っ張ったものだからページの端がぐしゃっと破れ、友達も私も唖然。“本が破れてしまった”という事実が悲しくて涙が込み上げてきましたが、友達は自責の念にかられていたのか「ごめん!ごめん!」と涙を流し、まるで二人で手を繋いで悲劇の溝に転げ落ちたような有様ですね。しかし今思えば友達には悪い事をしました、まだまだ子供ですから感情を抑える事も理由を説明する事もできず、ただ泣き叫び、いかにも友達のせいだと言わんばかりの態度をとってしまったのですから。
泣き声を聞きつけた母が部屋に入ってきて、その場はなんとか収まり、友達も私もお互い謝り合って二人で破れたページにセロハンテープをつけて仲直りしました。その次の日にもらった手紙、封筒の中には星形のビーズが入っていました。
傷痕は今でも確かに残っています、そこを開くと黄ばんだ黄色いセロハンテープがパリパリと音をたてました。よく見てみると、その傷以外にも細かい汚れや折り目が至るところにあります。あの時は丁重に扱っていたつもりでしたが、エネルギーに満ち溢れたあの頃の日常の中に、この本がいた印はしっかりと遺っています。今となっては間違って本に傷をつける事はなくなりましたが傷だらけの本というのも良いものです。

Filed under: 小説とわたしと日常

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カバーされた漫画本を覗いた子供時代

Posted by admin on 2019年8月20日

書店に行った時、漫画コーナーを散策していたら中学生くらいの女の子二人が少女漫画を手に取りあれやこれや苦戦していました。どうやら彼女たちは、この漫画が読みたくてしょうがないのだけれど、おこづかいが無くて買えないようです。漫画は透明のビニールカバーで全体が保護されており一般書籍とちがって中身を読む事ができません。私も彼女たちと同じ年の頃は、「どうして漫画だけこうやって読めなくしてあるのかぁ」と、立ち読み防止のため前面カバーされた漫画本を手にし、財布の少ない中身と睨めっこした憶えがあります。一人が漫画本を手に取り、天の部分を弛ませて中身を覗き始めました。「あ!すごい!○○君が告白してる!」「見せて見せて!きゃー!」と、興奮気味の二人。本の背部と小口部に力を込めて天の紙を弛ませて中身を覗く、いけない事とは分かっていても、私もそれをよくやりました。背徳感を感じつつ好奇心はおさまらず、「跡が残らなければ大丈夫……」と自分に言い聞かせて、漫画コーナーの隅でこっそりと。カバーされているくらいだから「読みたければ買いなさい」という大人たちからの警告がひしひしと伝わってくる中でそれに反するドキドキ、様々な気持ちが入り混じって覗き見した内容はいまだに忘れる事ができません。
二人は満足したのか、すぐに漫画を丁寧に戻の状態に戻しそそくさと何処かへ行ってしまいました。一冊500円前後のエキサイティング、大人になってすっかり忘れていた感覚が思い返されました。

Filed under: 小説とわたしと日常, 思いついたこと

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