Posted by admin on 2015年11月6日
小説に出てくる食べ物って、時々すごく作ってみたくなります。特にその料理を作る過程から描かれていたりすると、「よし、今から作ってみようかな」と急に思いたったり。村上春樹さんの作品に登場するBLTサンドもそんな勢いで作ったことがあります。
先日、試してみたのはラタトゥイユ。野菜の名込み料理です。フランスの小説を読んでいたら出てきたのです。主人公が冷蔵庫の中にある野菜を使って簡単にさっと作ってしまいます。私はラタトゥイユって、レストランでしか食べたことがなくて、それも前菜として小さな器に品よく入ってました。ところがフランスではそういったおしゃれな料理という感覚ではないみたいです。あり合わせの野菜を使って多めに作りおきして、残ったら冷蔵庫に。もともと夏野菜を使うことが多いので、冷やして食べても美味です。トマトとナス、ズッキーニは必ず入れるようですが、あとはパプリカやニンジンを使うと彩りがいいしボリュームが出ますね。私はセロリやタマネギ、そしてバジルの葉も欠かせないです。肉類は入れないのであっさりしていますが、それでも野菜のうまみが十分に味わえて美味しいんです。白ワインに合うので前菜にぴったりですが、朝ならこれにバゲット、チーズの一切れとコーヒーがあれば満足できる朝食になりますね。容器から出してすぐ食べられるのも便利です。
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Posted by admin on 2015年10月22日
職場の同僚でタロットカードにはまっている人がいます。みんなでランチを食べるスペースがあるのですが、昼休みになるとそこで、いつもカード取り出していじっています。みな面白がって占ってもらったりしていましたが、私は遠巻きに見ているだけでした。でもタロットカードの絵柄って独特で、何かとても神秘的な魅力がありますね。同僚は、占いハウスで占ってもらっているだけでは物足りなくなり、解説本のついたタロットカードを購入したのだと言ってました。本屋さんの占い本のコーナーに売っているそうです。
私は結果を気にする方なのであまり乗り気ではなかったのですが、誘われたので一度だけ占ってもらうことにしました。同僚はまだ簡単な方法でしか占えないので、並べたカードを私が一枚引くだけです。今週の私の運勢をみてもらいました。心を落ち着かせ、真ん中あたりの一枚を選んで自分で表に返すと…何とDEATH、「死神」。怖ろしいドクロの絵柄が出てきたのです。ああ、やらなきゃよかった、と後悔しため息をついてしまいました。「待って、そんなにがっかりしないで。タロットの死は再生の意味もあるのよ。特にこれ、逆向きで出てきたから悪くない札よ。むしろ喜んで」と言うのです。最近、ついてないことばかり続いてめげていたのですが、「状況が好転する」と言われてすっきりしました。何だか当たりそうな予感がしています。
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Posted by admin on 2015年10月8日
本にカバーをかけて読むのは日本人だけ、と聞いたことがあります。確かに外国のペーパーバックなどはカバーをかけるのに向いていないし、一度読んだら捨ててしまう、みたいな感覚なのでしょうか。日本人は清潔意識が高いし、何の本を読んでいるか他人に知られたくない、という気持ちがあるのだと思います。
確かに私も、本を剥き出しのまま堂々と電車で読むということは、あまりないかもしれません。図書館で借りた本でも、買った本に付いていたカバーをはずして使ったりしていますし。この感覚って、外国の人には理解されにくい感情なのかなあ、と思ったりします。
以前は、本屋さんでも独自のカバーを作っていて、デザインなど凝ったものもありました。本はどこで買っても同じ値段だから、どうせならきれいなカバーをつけてくれるところがいいです。十色ぐらいある文庫本のカバーの中から好きな色を選べる書店があって、以前はよくそこで買いました。恋愛小説の時はピンク、エッセイはブルー、実用ぽい内容の時はイエローと決めていたのです。ところが最近では本も売れなくなってしまったのか、カバーは1種類のみ、書店のロゴが入ったごく普通のものだけ。何だかつまらないです。
そこで私は、気に入った包装紙などがあった時は、自分でカバーを作ることにしました。たかだか文庫本のカバーですが、だれも持っていないオリジナルだと思うと、電車の中やカフェなどで本を取り出すのがうれしくなってしまうのです。
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Posted by admin on 2015年9月24日
コーヒーとチョコレートって、すごくよく合いますよね。私の場合、それに加えて面白い小説があれば言うことはない、という感じです。家でリラックスした時間に好きな本を手に、大きめのマグカップにたっぷり注いだコーヒー。それに美味しいチョコをつまみながら…なんてまさに至福の時間です。箱の中に行儀よく並んだいろいろな形のチョコ。次は中に何が入っているだろう、ナッツかな、キャラメルかな、などと想像しながら一口かじる時が好きです。
でもチョコレートって、一種の刺激物だから中毒性があるんですよね。カカオに含まれているテオブロミンという成分が、心臓血管や中枢神経に作用して吐き気や震えなどの中毒症状を引き起こすことがあるそうです。まあ、そこまでチョコを食べ続ける人はあまりいないでしょうけど。たまに家族がもらってきた義理チョコを処理するために、けっこう食べたなあ、と感じることはありますが。それも一年のうち数日です。チョコって、あまりに美味しいのでもう少し食べたい、と感じるぐらいでやめておくべきですね。そうでないとうんざりしてしまいます。
それと気をつけたいのは、犬や猫はテオブロミンを代謝できないので、うっかり口にすると危険なんだそうです。人間が食べておいしいからって、ペットには絶対にあげてはいけないし、まちがって食べないようにしっかり管理しておきたいですね。
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美味しいけど気をつけないと はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2015年9月10日
私はどちらかというと慎重な性格だと思っていますが、たまにとんでもないドジを踏んでしまいます。眼鏡をかけたまま顔を洗ってしまうとか、一度読んだ本をまた買ってしまうとか。読み始めてもまだ気がつかなくて、残り数ページというところでようやく以前読んだことを思い出したのです。なぜならどういう終わり方をするかわかったから。とんでもない忘れん坊ですよね。
先日など、夕方になってさあ洗濯物を取りこもうとベランダのサッシを開けたら、洗濯物がひとつもない!ええっ、どうなっているの、全部盗まれてしまったの? と冷や汗が出ました。見事にやられたな。私は以前、気に入ったランジェリーばかり何枚か盗まれたことがあります。夜間に干したのがいけなかったのですね。当時は部屋が二階だったので完全に油断していました。だから基本的に夜は洗濯物を干っぱなしにすることないのです。でも昼間なのに盗まれるなんて、それも全部。
が、よく考えてみると干した記憶がない。あれ、でもけさ確かに洗濯したよね。え、え、それってもしかして。と、あわてて洗面所に行き、洗濯機のふたを開けてみました。ああ、そこには脱水したままの洗濯物がどっさり残っていました。午前中、雑用でばたばたしていて干すのをすっかり忘れていたのです。もう夕方で薄暗くなっていましたが、それからせっせと干しました。もちろん私の大事な下着類は部屋の中です。この話を友人にすると、けっこう笑われます。取り込むのを忘れることはあっても、干すのを忘れるなんてあまり人はやらないミスかもしれませんね。
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洗濯物のゆくえは? はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2015年8月26日
竹取物語は源氏物語よりもずっと以前に書かれたものであるといわれています。私は高校生の時に古文の授業でこれを習いました。そして、面白いところは、なんと、これだけ時代を越えて有名であるのに作者名は未だに不明です。だれが執筆したか皆目検討が付かず、わからないのです。推測はいくつもされていますが、誰も真実を知るものはいません。ここに、とてつもないドラマが潜んでいます。なぜ素性を明かさないか!?とか、いろんな事を考えりことも出来ます。
光源氏の恋愛小説とも呼ぶべき「源氏物語」を執筆した紫式部も、その後どこで亡くなったのか、本人がどうなってしまったのか分かりません。この、ポッカリと空いている空白の部分にこそ、人の探究心をくすぐる何かがうごうごと潜んでいます。私は明らかになっているものより、歴史の影に埋もれてしまったものにただならぬ興味があります。「不明」ということばには不思議な魔力があるように思えてなりません。
知りたい、でもこの先、一生謎が解けない。ミステリーや推理ものにはあるまじき結末をわかっていながら、想像を繰り返します。そういう他人の考察を読むのも好きだし、自らの見解を披露するのも好きです。お金のかからない楽しさ。作者を追うこと、これも一人遊びのとっておきです。
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簡単!一人遊び はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2015年8月11日
「物語を楽しむコツってなんかある?」と先日、知り合ったばかりの人に聞かれました。私はこれはちょっと考えてみなくてはならない。と思い、「答えが出たら教えるね」と言って、その場は分かれました。今まで、考えもしなかったことです。「そういえば、私、どうしてこんなにハッピーな気持ちで物語といつも向き合っているのだろう」と改めて考えるキッカケにもなり、質問をもらえて本当によかったなぁ。と思ったのです。
ずっと、それこそ、子供の頃から親しんできました。それこそ生活の一部で、切っても切り離せないものであるからこそ、深く考えたことはなかったのです。当り前に面白いものという認識で、そこに工夫とかそういったものを要する必要もなかったのです。
しかしそれは、ただ思いつかなかっただけで、もしかしたらずっと培ってきたから気付かないのかも知れないな、と気付きました。スポーツをして上手くなると、初心者だった頃の気持ちを忘れてしまうように。だからこそ「初心に帰る気持ちで」とよく言うのかもしれません。もう一度、初めて読んだ本の感覚を思い出してみようと思いました。もしかしたら、もっとずっと新鮮な気持ちでうきうきする気分を味わえるかもしれません。
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気付くことの大切さ はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2015年7月28日
季節の美しさを実感すえるのは、花弁がほころび、色とりどりに咲き誇るお花の存在が大きいです。三月から梅雨にかけては特に見頃で、梅、チューリップ、桜、フジ、など私達の目を存分に楽しませてくれます。落ち込んだ気持ちもちょっと浮上する優美さ。お弁当を持って満開の下でみんなとお喋り、というのも古来から親しまれてきた日本特有のとても楽しい行事です。
先日、庭師を主人公とした小説を読みました、その中に書かれていたのが、交配や世話の仕方など大変な苦労を要している職人がいる、という事。なんとなく自然の賜物で、たまに肥料やお水を与えるだけなんじゃないかな、と思っていたのでこんな影の努力があったことに驚きました。そうか、ここにも人が関わっていたのか。と。数年前に桜を山で育てているお話を読んで、山桜を守るのはとても苦労のいることなのだな、と学んだのですが、こっちも同じように日々の努力があったのです。
「キレイだなぁ」と思う背景を考えてみるのも素敵な事だと思います。ただ、与えられるだけではなく、与える側に回ったらもっと歓びが多いのではないでしょうか。私は取り敢えず、庭に茂った雑草を抜くところから始めたいと思います。
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お花と小説の相性 はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2015年7月13日
どうしても唆られてしまうのが、各地地域の物産展です。普段手に入らないものが身近になるというのはなんとも楽しく、希少価値があるからこそ欲しくなる、というのは人間の心理的に確かにあるものだと思います。もちろん、質や量、食べ物だったら美味しさなども購買する時はとても大切な要素になるとは思うのですが、やはり各地のものというだけで美味しそうな気がするのが不思議です。実際、ほっぺたが零れ落ちるほどだったり。
私もそういったものに目がないひとりです。旅行も大好きで、名産物や酒は必ず買って帰ります。そういったもののリサーチも如才ないのです。人間の大きな欲求に食欲と睡眠欲、そして物欲がありますが、私はこれに従順です。特に寝ることは大好きで、どこでも眠れるというのは私の特技の一つであると言っても過言ではありません。今まで眠れない、ということがないのです。ものに対する欲望は特に小説と言った本などの類が当てはまります。
新刊のチェック、面白そうなストーリー、作家の発見などは私の楽しみの一つで、作品名を言われればだいたいそれを執筆した人の名前を答えられます。何に使えるのか皆目検討がつかないちょっとした自慢ですが、好きこそものの上手なれ。これからも誇っていきたいと思っています。
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なんに使えるかわからないけれど はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2015年6月27日
偉業を成し遂げた、という言葉があって、私は偉人と呼ばれる人たちを題材とした小説をこれまで何冊も読んでいます。なるほど、確かにとても興味深く、波瀾万丈で、スリルのあるお話が多かったです。その業績もさることながら、人間的に尊敬するに値する人の行いは感心します。でも、私は、もうちょっと身近なところにある「凄さ」に興味を覚えます。世間の話題にもならないし、褒め称えられることでもない。しかし、素晴らしい事を成し遂げている人はいくらでもいるのだと思います。
そういうところにこそ、人間的な「素晴らしさ」はあるのだと思います。例えば、毎日、お金にもならないのに町のゴミを拾う人、誰に労われるわけでもないのに家族の介護をする人、見る人から見れば「アタリマエのこと」かもしれません。しかし、当り前の中に私は「偉大なこと」が潜んでいると思うのです。
あまり理解をしてもらえないのですが、先日、日経新聞のコラムで、正岡子規の妹、正岡律に関する記事がありました。とても興味深く、私と同じように考えている人もいるんだ、とストンと心のモヤが晴れました。
大きい目でみることも大切だけど、そういうところに視点を置くことをこれからも続けていきたいと思っています。
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直ぐそばにあること はコメントを受け付けていません