間違いはすぐに調べるべし
Posted by admin on 2017年9月6日長年聞き続けた曲、始めた歌詞を文字で追ってみると今まで思っていたものは聞き間違いだった事が判明した!なんて事ありませんか?最近私は、「日々」だと思っていた箇所が「意味」であったと知って驚きました。「~な意味が欲しい」だったのか、~な日々が欲しいかと思っていたのに……日々でも意味でも大きな違いは無さそうですが、やはり意味の方がしっくりきますね。このような間違いは音楽だけでなく、読書にも散見されます。さすがに内容の筋を読み間違える事はないですが、登場人物や地名を読みを間違えたまま終りまで読み進めてしまう事は度々あります。とくに昔の物語は常用外の漢字が使われたり、現代人の感覚とは離れた名前が付けられている事が多いのでイチロウだかカズロウだかカズアキだか曖昧なままである事が多く、その本について他の人と話した時に「え?!彼はカズアキラって言うの?」と驚かされた事だってあります。四国の地名に「祖谷」という場所があって、これはイヤと読むのですが、初見でイヤと読める人はほとんどいないと思うんです。物語でこの地名が登場した時に私は何の疑いも抱かずソヤと読み進めていました。同じ頃にこの物語を読み始めた友人と話していた時に、「主人公がソヤに引っ越した時に」と言ったらやれやれとした顔で「それはイヤって読むんだよ」と教えられました。「分からない、不安な読みの漢字を見つけたらすぐに辞書をひくべし」と眼鏡をクイっと上げながら話す友人、全くその通りですが、お話に惹きこまれてしまうと中断して辞書を開く気になれないんですよね。