Posted by admin on 2017年11月26日
この本おもしろいなと思って、作家さんについて詳しく調べていると、私も好きな大正から昭和にかけて活躍した文豪の事を尊敬し、影響を受けたと言っている事が分かりました。“におい”が似通うとでもいいましょうか、なんとなく私が好きな雰囲気をその作家さんは醸しだしていて、それは大本である文豪が発しているものと同じ肌触りのものだと感じた要因はそこにあったのかと納得しました。初対面の人と会話をしていく中で、趣味や好きな食べ物などが同じだとグッと距離が近づいた気分になりますよね。それと同じように作家さんに親近感を湧く一方、自身のスタイルと文豪のそれをうまく掛け合わせて新しい価値を創造し、読み手の幅を広めて鑑賞の波紋を広めるテクニックを持っている事に私からささやかながら敬意を表したいです。“○○から影響を受けた”というフレーズは様々な場面でよく目にします。人間の脳は鎮痛剤よりも、鎮痛作用のあるアロマなどの香りの方が早く作用するのと同じように、憧れを抱いたり恋に落ちる時に駆け巡る感覚スピードは理論よりもずっと速い。影響を受けた際に人はきっと感覚で対象を捉え「なんて素敵な物語だろう」と繰り返し鑑賞する内に無意識にまで浸透していく。そうして表出され、系譜を引き継いだ作品は、目新しさの中に読み手と趣味が一致した際に「この感じ好きだな」を刺激する刺激が組み込まれているという事です。
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“影響を受ける”の感覚論 はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2017年11月12日
子供の頃、近所で有名な本好き一家が引っ越してきました。空き家になった家屋に住んでいて、庭にはいつも扉が開いている大きな倉庫がありその中には大量の本が見えました。その家のお父さん・お母さんはいかにも本が好きそうな感じの真面目で聡明な顔立ちの人で、一人息子がいて、彼は私と同い年くらいでしたが眼鏡にザンギリ頭でキリッとした顔つきでなんとなく近寄りがたく思いました。公園や土手で一人本を読んでいる姿をよく見ましたし、地区のイベント事に参加している時はいつも本を片手に持っていました。なんの本を読んでいるのか気になって、聞いてみた事があるのですが「さ…かなとか、うみ」とボソボソっという返事に少しイラッとした思い出があります。泥まみれで遊んでいる私たちをどこか敬遠するような彼の冷めた目と、まだ小さな体に似合わない重厚な本のせいで、彼は明らかに地区の子供の群れから浮いていました。わんぱくで容赦ない子供の頃の私たちは「ヘンなやつ」とか「ガリ勉やろう」なんて言ってからかっていましたし、私も何も考えず「あの子ヘンだ」なんて思っていましたから、子供って残酷ですよね。その後突然一家は引っ越してしまったのです。私たちの中では、もしかしたら仲間はずれにしたからかななんて罪悪感を子供ながらに感じ、必死で忘れようとしてみんな不自然なほど彼の話を出さないでいました。でも彼の事なんて一か月も経てばみんなすっかり忘れて、忘れたまま私たちは大人になった訳です。
最近になって母から彼の話を聞いたところによると、彼は今海外在住のプロのサーファーで、大会に出場したりコーチ業に励んだりとサーフィンの世界で活躍しているそうです。青白い肌に暗い表情の、あの頃の姿からはサーフィンを乗り回している姿はまったく想像がつきません。母いわく、彼のお父さんは海洋研究家でお母さんも研究所の関係者だったんだとか。あの日のボソボソっと答えた彼が開いていた本に、魚が描かれていたのはそういう事だったんだと気づいても、時すでに遅し。かつてあの空き地にいた子供たちは、別々の道を歩む大人になったのです。
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ちょっと変な本好きなあの子は今 はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2017年10月30日
楽しい事をしていると時間が過ぎるのはあっと言う間で、嫌々何かをしている時は何度時計を確認しても一向に針が進んでいない気がする不思議。自分がもともと知識や興味を持っている本はサクサク読み進める事ができますが、知識どころか興味もない本を読んでいる時の重苦しい瞼と脳みその動きの鈍さと言ったら。興味関心は人間の原動力であると言うのならば、何に対しても意欲をもって取り組む姿勢をもつ人はモーターの回転が軽快で活力のあるものなのでしょう。好きな本はすいすい読めて、読み終わってももう一回何度でも読みたくなるのに、課題で読みなさいと言われた興味の持ちようがない本は一行前の文章すら忘れてしまいそうになります。どんな分野・系統の本でも意欲的に読み進める事ができればいいのですが。日常生活において「気が向かないのにやらなければいけない事」が多く待ち構えているのですから、大好きな読書くらいは原動力モーターを自由に動かす事ができればと思います。そんな考えでいるせいか、本棚は好きな作家さん・分野の本が多く並んでいるわがままなつくりになっています。そう、今まさに私は気が向かない課題に取り組んでいる最中、原動力モーターが錆び付きカナ切り声を上げています。はやくあの本を読みたいと逃避してばかりです。
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興味・関心は原動力 はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2017年10月18日
少し曇りがちな日の下で本を開くと、紙の白さが光を帯びて際立ち、いつもの読んでいる本とは思えないほどの透明感を感じる事があります。晴の日もたしかに紙は白く映えるのですが、眩しく感じる事に目が慣れているので紙の眩さに気づく事は少なくて、目が光に慣れていない曇りの日こそそれを実感するチャンスだと思います。
晴れよりの曇りよりも、雨よりの曇りの方がいつ雨が降り出すがハラハラできますよね。草木に交じった微細な雨のにおいを逃さないように嗅覚を研ぎ澄ませたり、湿気が上昇していないか肌の水分量を察知しようと息をすませてみたり。大変便利になった現代社会の日常において、自然と共鳴する感覚を使う機会はめっきり減りましたが「降りだしそう……」という予感に対する感覚はいまだ健在という人は多いのではないでしょうか。いつ厚い雲から雨水が一滴垂れてくるかこないかの天気の元で、読書をするのが好きです。目も鼻も肌も、脳だっていつもより冴えていて読書の時間が一層深みをもつものになると思うのです。子供の頃は雲行きの怪しい天気の時にのんびりと公園のベンチでのんびりと読書する人を見て「変な人だなぁ、雨が降ったらどうするんだろ」と思っていました。今思えば、あの人たちは冴えわたる感覚の解放を楽しんでいたのかもしれません。
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雨よりの曇りの中での読書 はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2017年10月5日
いつもは通らない道を歩いていると、商店街の一角に薬屋さんと空き家に挟まれた○○古書店と書いう看板を掲げたこじんまりとした古本屋さんを見つけました。一階は古本屋で二階は住宅スペースなのかでしょうか、二階のベランダからは布団が干されています。
入口の扉には「一緒に働いてくれる人募集中 猫と本が好きな人大歓迎 時給は要相談」と手書きで書かれた貼り紙があります。募集要項に猫好きとあるなんて面白いなと思い、店内を覗いてみると中はしっかり整頓されており、高い本棚にはぎっしり本が並べられていますが人の気配は全くありません。きりぼりしているのはどんな人だろうかと気になり、店に入って本を眺める事にしました。しかし十分ほど時間が経っても人が現れる気配は一向にありません、今日のところは帰ろうかと思った矢先、奥から物音が聞こえてきました。振り返ると、そこにいたのはもっさりと太った白い猫。大きな体のわりに歩く様はしなやかで尻尾をピンとたて、私の方など見向きもせずにレジのある台の上に飛び乗り毛づくろいを始めました。しんと静まり返った空間に舞う白い絨毛に惑わされているような、少し不思議な気持ちで手に取った本を読みます。それにしても誰も来ないのです、猫が出てきた入口からは相変わらず何の気配もなく店の前の道すら誰も通らない、この世界が私と彼だけになってしまったような気さえします。温かい日差しと穏やかな本屋、眠そうな猫、なんてのんびりとした景色だろうかと思うのですが、その時私は実は未知との遭遇にゾクゾクしていました。猫好き・本好きといえば私の事、振り返って白い背中に手を触れようと近づいた時、のれんをかき分けて人の好さそうなおじいさんが出てきました。「いいお天気ですねぇ」ゆっくりと椅子にこしかけながら話すおじいさんを見ていると、先ほどまで何故鳥肌が立っていたのかますます分からなくなる気がします。
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古本屋と白猫と昼下がりと鳥肌 はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2017年9月20日
「文学女子風マニッシュ暗髪」「才色兼備の読書家美人」時折みかける本にまつわる美人像。知的でどこかアンニュイな雰囲気が漂っていて男女問わず魅力的にうつるのでしょう。漫画や小説で、明るく元気いっぱいな女性と対比軸で登場する、物静かで儚げな女性像。一人でいる時に窓辺で本を読んでいたり部屋には本がいっぱいあったり、ミステリアスだけどじつは優しくて一途、現代日本の典型的な文学少女のイメージと言ったところでしょうか。フィクションだからこそなせる完璧なまでの文学性をまとったキャラクター像、女性だけでなく男性も、彼らに惹かれるのは憧れもしくはお恥ずかしながら自己同一化してるのかもしれません。平安時代においては質の高い詩を詠む事ができれば、それだけで美人とされたらしいのです。一方でどんなに顔や佇まいが美しくても、詩がいまいちだと、今でいうモテない・イケてないと言われる事もあったのだとか。文芸に秀でた女性が美しいと感じるセンスは今もむかしも共通しているものです。
私個人としてはその人がどんな見た目・性格であろうと「本が好き」というだけで好感を持ちます。眩いほどお洒落で華やかな人が読書家だったら、その裏腹感に魅力を感じますし、いかにも本が好きそうな人が読書家だったら、外見とのギャップ云々考える間もなくさっそく本の話をしたいと思ってしまいます。そう、私はフィクションでもリアルでも、本好きの人が好きなのです。
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本好きな人はいとをかし、そして愛おしい はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2017年9月6日
長年聞き続けた曲、始めた歌詞を文字で追ってみると今まで思っていたものは聞き間違いだった事が判明した!なんて事ありませんか?最近私は、「日々」だと思っていた箇所が「意味」であったと知って驚きました。「~な意味が欲しい」だったのか、~な日々が欲しいかと思っていたのに……日々でも意味でも大きな違いは無さそうですが、やはり意味の方がしっくりきますね。このような間違いは音楽だけでなく、読書にも散見されます。さすがに内容の筋を読み間違える事はないですが、登場人物や地名を読みを間違えたまま終りまで読み進めてしまう事は度々あります。とくに昔の物語は常用外の漢字が使われたり、現代人の感覚とは離れた名前が付けられている事が多いのでイチロウだかカズロウだかカズアキだか曖昧なままである事が多く、その本について他の人と話した時に「え?!彼はカズアキラって言うの?」と驚かされた事だってあります。四国の地名に「祖谷」という場所があって、これはイヤと読むのですが、初見でイヤと読める人はほとんどいないと思うんです。物語でこの地名が登場した時に私は何の疑いも抱かずソヤと読み進めていました。同じ頃にこの物語を読み始めた友人と話していた時に、「主人公がソヤに引っ越した時に」と言ったらやれやれとした顔で「それはイヤって読むんだよ」と教えられました。「分からない、不安な読みの漢字を見つけたらすぐに辞書をひくべし」と眼鏡をクイっと上げながら話す友人、全くその通りですが、お話に惹きこまれてしまうと中断して辞書を開く気になれないんですよね。
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間違いはすぐに調べるべし はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2017年8月22日
箪笥の中を整理していると、小学生頃の思い出の品がまとめて収納してあるカラーボックスを見つけました。その中に日記帳を見つけて、恥ずかしながらも読んでいくと「図書館に本を返す日なのに、読み終わっていなくてどうしようと思った。図書館の先生におねがいしたらまた借りていいことになりました。よかったー!ドキドキしたー!」とありました。なんだか胸が痛いです。実は私、今本を延滞していて、延滞の手続きはしていないし返却期日から三日ほど過ぎているはずで、この日記の頃の返却期日を遵守する気持ちを忘れているのです。日記には続きがあって「またこの本がお家に来るなんて夢みたい!図書室にも本屋さんにも売っていない、みんな知らない本なんでーす!!」この頃はくにゅっと崩れた“カワイイ”字体と文末に「!」マークを使うのがクラスの女子の中で流行っていたのかもしれません、私も下手な文字と文章をどうにかして“カワイイ”に仕立て上げようと必死です。そんな嫌味ったらしい蒸し返しは置いておいて、今となってはこの本の事が全く思い出せないのです。これほどお気に入りのものだったというのに、記憶の片鱗にも残っていないなんて我ながら薄情だなと思わざるを得ません。でも今の私のなんらかの糧になっているのなら、自然と思い出す日まで思い出の中に滲ませておくのもいいかもしれません。とにもかくにも、すぐに今借りている本を返すか、延滞するかしに図書館に行かなくてはいけません。
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薄情な私だけど今も昔も本が好き はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2017年8月7日
友人の家に遊びに行って、話をしたりお菓子を食べたりして寛いでいました。彼女の部屋は六階にあって、さらにマンション自体が高い位置に建設されているため、一帯の景色が窓からよく見えます。話しが小休止したので、街中を一望できる窓の外をぼんやりと眺めていると「ねぇ、おもしろい話してあげようか」と友人が笑います。「私、実は三日前くらいから、泊めてるの……家に」と含み笑い、なんだか深い意味がありげな様子です。何を泊めてるのかどこにいるのか、聞いても教えてくれません。「さぁあ?」と言うだけできっと友人は私の事をからかっていると察し、私もそのおふざけに便乗する事にしました。
泊めているものの特徴は?と聞くと「物知りで、落ち着いていて静かで、青が似合う、超タイプな感じ」という回答。犬や猫か、あるいはセロリの葉っぱを切って水に浸している類の事かと思ったら、どうやらそんな簡単なお話ではないようです。何も言わず紅茶をすする友人、おふざけを忘れて「それって……?!」と真顔で聞き返してしまいました。友人は口に手をあてて、コクコクっと頷き「図書館で出会ったの」と言うのでこれはただ事ではありません。図書館で出会った、物知りで落ち着いて静かで青の似合う男性が泊まっているのだと思って、私はなんてお邪魔者だろうと、混乱する頭でひねり出した結論によって早く友人宅から退散しなくてはと焦るあせる。「じゃ、じゃあ、その私はこれで」バタバタと帰る準備をしていると、友人がもう我慢できないといった様子で大笑いし隣の部屋に小走りで向かいました。友人と図書館で出会った男性が来る……!心臓がはち切れる思いでいると、部屋から出てきた友人の手には青い表紙の本が。「ごめんね、変な言い方して。泊めてるっていうか、借りてきたの、この青い本」茶目っ気たっぷりにごめんと言う友人。肩の力がしわしわしわ~っと音をたてて抜けていくような心地に襲われ、もうなにがなんだか、とりあえず笑うしかありません。
「窓の外をぼんやり見ていて、なんだかつまらなそうに見えたから、楽しませてあげようと思ったんだ」と、自由奔放で人懐っこい友人らしいイタズラです。それにしても、本を借りつという言い方より、図書館から来た本を泊めていると咄嗟に思いつく友人のセンスには頭が上がりません。
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お泊りしているのは誰だ! はコメントを受け付けていません
Posted by admin on 2017年7月24日
何年か前に購入したものの、内容が難しく頭に入ってこなかった本があります。なぜその本を買ったのかというと、表紙がお洒落だと思った、ただそれだけの理由でした。そして最近、その本が現代アートを語る上で欠かす事ができない名著であると知りました。どうりで表紙がお洒落で、勉強不足の私には内容が難しいと感じられたのも頷けます。国内美術について勉強していると、この本の名前が色々な場面でとり出たされており、あの時「なんだこの本難しいな」と言って本棚の隅に追いやって、数年分の埃が被った状態にしている事が恥ずかしく思えてきました。もう一度勉強し直そうと思い本棚を探しますが、見当たらない、書庫まで探しても本がないのです。頭をひねってどうしたものかと思い出してみると、友人に貸したまま返ってきていない事が判明しました。貸した友人に聞いてみると「返そうとしたら、いいよあげるって言ってたけど、返した方がいい?」との事。そう言えば、当時私は別の本に夢中になっており友人があの本をとくに気に入っていたので、いいよあげるなんて言っていたのです。なんとか笑って誤魔化し、返してなんて言えませんから友人に譲ったままにしておく事しました。いやはやそれにしても当時の私、いや今の今まですっかり忘れていたなんて酷いものです。もう一度あの本を買うべきか、いや、もっと勉強して、買うべきかどうか迷う暇なんてない程本当に必要になったら買う事にします。
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蔑ろにしていた本の正体と行方 はコメントを受け付けていません